Cinema Life Career

映画紹介を中心に、仕事観やキャリアについてなど、世界観や見えていること、日常の中で感じていることを徒然なるままに綴っていきます。

【映画】愛を語れば変態ですか 〜愛の倫理観ぶっ壊しコメディ〜

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愛を語れば変態ですか

タイトルがキャッチーなのと72分でさらっと観ることができそうだったので、評価はなかなかによくなかったけど鑑賞。

一見ごく平凡な夫婦あさこ(黒川芽以)とその夫(野間口徹)はカレー屋を営むことになっていて、オープンを翌日に控えていた。
そこに風変わりな男たちが次々とやってきて、あさことの関係があったことを知り、場がどんどん入り乱れることになっていく。

 

日本的美意識である価値観に対して、真っ向から衝突させてくる衝撃的なラブコメディ。

まあ評価が悪い理由も物凄くわかる。
これは日本で受け入れられるような作品ではないし、日本的に真っ当に生きている人であれば不快な言動や行動が多く、なんやねんこれとなり、呆れたり受け入れられない方も多いだろうなーと思う。
思ったのとは全然方向性が異なっていた。

 

序盤はやっぱりあさこの夫にどうしても感情移入してしまう。
嫌いになれないからこそを利用して、何に対しても自分を悲観的に捉えたり、論点を変えたり、優柔不断になったとしても許されるし許してしまう煮え切らない感じに対しての不快感は確かに感じられる。

そんな煮え切れない中でさらにがっつりと入り乱れていく会話劇は、後半の強烈なメッセージに繋がっていく。
日本の確固たる価値観である結婚において一生の愛を2人との間に誓い、それを続けることに対してのアンチテーゼを大胆な展開で表現されている。

 

あさこは結婚したからといって一人の人だけを愛することへの違和感を強く感じていた。
だから夫が提案したカレー屋を2人の店として営むことへのアンチテーゼを並べていた。

そんな誰もを愛したいあさこに対して、それがわかっても嫌いになれずに翻弄されていく男5人。
自分が一番なんだというあさこにとって意味のない不毛な争いに嫌気がさしたあさこが最後に暴走する。

 

一人の人だけに愛し愛され生きていくことへのアンチテーゼとして、出会う男全てに愛の形としてのキスをしまくって、たくさんの人に愛を届け幸せを与えていこうと走り出す。

それでも放っとけずに追いかけてしまう男たち。これが日本的である男の性とでも言いたいのであろうか。

あさこの行動を全く理解できない男たちの代表として夫があさこに相対したが、結局2人はわかり合えずに、あさこに負かされ流される形で追従していき、物語がエンドを迎える。

 

あさこが男たちに流されて生きていたかと思いきや、実は一番確固たる自身の軸を持って生きていて、流されてたのは実は男たちだったというオチ。
これは多くの日本人にとっては全くもって理解し得ない不快さのある作品であると感じる。

このように圧倒的マイノリティの主張を極端に振り切って立場を明確にし、価値観を一新させようとするその心意気は凄いと思うが、やっぱりこのような内容だとまだまだ薄いし、言いたいことはわかるけど、こういう考えもあるよねとはならない方も多いのではないか。

 

もっと愛を一過性のものではなく、濃いものとして描いて欲しかったし、愛の多視点の表現、アウトプットの形を明示して欲しかった感はある。
誰彼構わずキスをするという落とし込みは、美人だからこそできることであるという前提が入ったとしてもやっぱり弱い。
愛の形は色々あるから何ともだけど、もっとちゃんとした「愛」を語って欲しかった。

一瞬だとしても多幸感を与えることこそが愛であり、それを一人でも多くの人にしていきたいという価値観への落とし込みであれば今作はあり!

 

まあ前提として、私はこういう作品嫌いじゃないです。
客観的に見たらそうだと思うだろうという意見を述べているだけで。
中途半端じゃなく振り切ってるからこそ評価も完全にわかれるし、一定気づきとして与えられるもの、ハッとさせられるものがありますからね。
ただ、72分だとこれが限界ですかね。
男たちの登場人物は5人いらなかった説もあるかも。

 

P.S.
女優としてわりと好きなんですが、黒川芽以はもっと出る作品を選んで欲しい感はある。笑
「美人が婚活してみたら」もまだ観てないけどなかなかハードモードっぽいヒロインだし、正統派な役や重めの作品のヒロインとしての黒川芽以も見てみたい。

#映画 #愛を語れば変態ですか #福原充則 #黒川芽以 #野間口徹 #今野浩喜 #栩原楽人 #チャンカワイ #永島敏行 #邦画 #映画好きな人と繋がりたい

【映画】判決、ふたつの希望(THE INSULT) 〜ただ、謝罪だけが欲しかった〜

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判決、ふたつの希望(THE INSULT)

ただ、謝罪だけが欲しかった


ほんの些細な口論から始まった事件。
人種の違うことで起こる様々な背景から、お互いが自分の信念を譲られないことで、話が大きくなっていき、メディアや国全体にまで浸透していくことになる。

 

最初は謝罪だけが欲しかっただけなのに、法廷に持ち込んで、弁護士が絡むことで、人種問題や差別問題といった社会的な問題に波及していく様は、現代の日本ではなかなか想像ができない。

それは日本が島国であり、移民が入ってきたりすることで、多国籍が入り交じるような複雑な国家ではないからそうなだけであって、国によっては本当にこんな小さいことで、度を超えたにらみ合いが勃発し、問題が膨らんでいくんだなと衝撃的だった。
特にレバノンは、過去のこともあった上での移民の受け入れがあるだけあって、よりシビアな感じが物凄く伝わってきた。

 

自らの正義を振りかざすことで、法廷で争うことになってしまった2人は、正直ここまでのことは望んでいなかったが、それを大袈裟に荒立てるのは他ならぬ私欲にまみれた人たちの存在であって、何かのためと表向きでは発してるけど、どうしてもそうは見えない法廷での横行と本当に自分事として問題を解決しようとする人たちが、複雑に絡み合ってる中でもわかりやすくちゃんと描かれていたのが凄く、完成度が非常に高い作品であった。

本当に些細なことから始まったものであるため、日本だったら双方が謝罪して終わること。

それで終わらずに、両者が一触即発になり、かっちりと対立構造ができる形で、ここまで広がっていくのは、レバノンパレスチナの複雑な問題が絡み合ってることを裏づけていて、だからこそこのような白黒つけるのが難しい問題の解決の糸口をどう掴んでいくのか、を色んな切り口から考えさせられる。

そこには、個人対個人では決して片付けられない過去の問題や今の問題が、想像を超える形で入り交じっていた。

 

どのような形に落とし込まれていくのかが、中盤以降にならないと見えてこないが、終盤にかけて徐々に糸口が見えてきて、「ふたつの希望」に落とし込まれていく。

個人間のいざこざが大きく広がっていたが、結局は個人と個人で、どちらもが痛みを伴っている。
その痛みに対して、どちらの方が大きくて、どちらの方が小さいかという大小の比較そのものがナンセンスで、それは結局主観に委ねられてしまう。

 

それであれば対立するのでなく、痛みわけをしてお互いがお互いの痛みをわかち合うことで解決をしていこうという、今作の制作側なりの答えはとても納得感があり、腑に落ちてきた。
きっかけは確実にあの車のシーンだっただろう。
あのシーンなしにこの映画は完成しないくらいの意味のあったシーンだった。

そこから当人同士の問題に対して、それぞれが出した答えを周りが温かく受け入れて、全力で後押ししていく展開に涙が止まらない。
そこにはすでに自らのエゴが入り込む隙がなくなっていて、本当に理想的な「ふたつの希望」としての判決が確定していった。

 

途中どうなるのか、と思ったけど、終盤の倫理観から来る善悪に対して、当人どちらもに寄り添いながら、途中自らの非をも一人の人間として不器用ながらも、認めていきながら、あの結果に導いていく展開が非常によかった。

未だに諸外国では人種、宗教、言語、価値観、過去、背景など、様々な問題が絡み合ってるだろうけど、人と人が関わるときはそれは一旦置いておいて、フィルタを外して、人としての尊厳を大切にして、関わっていくことが必要だと改めて感じた。

 

多様性の共存。
今こそ実現に少しずつでも進んでいって欲しいし、その希望が垣間見える作品だった。

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【映画】凪待ち 〜極限に闇堕ちした中で、なぜ彼は生き続けられたのか〜

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凪待ち

誰が殺したのか?なぜ殺したのか?

まずキャッチコピーは明らかにミスリードなので、そこには引きずられずに鑑賞した方がよいです。

 

毎日をふらふらと過ごし、お酒とギャンブルに溺れている典型的なダメ男と言われざるを得ない郁男(香取慎吾)が、再起をかけてパートナーの亜弓(西田尚美)とその娘美波(恒松祐里)と亜弓の地元である石巻に引っ越すことになり、平穏な生活を送ることができるようになってきていたかに見えたが、それからあることが起こり、それによりさらに郁男が堕ちていき、様々なとんでもないことが起こっていく。というよりも起こしていく、堕ちていくに近いか。

 

人はここまで堕ちていくのか。
本当にここまでどうしようもなくなっていくのか。
さすがにここで変わるんじゃないか、本当の意味で再起できるんじゃないか、と途中から希望を少しながら、もはや願いながら観ていたけど、行動としてそれが変わることはなくどんどん堕ちていく。

 

見られるのは気持ちの変化ではあるが、その気持ちをどう行動に落とし込んでいくか、がわからずに、そこに向き合う余裕もない状態だと、悪い方向にここまでストイックになってしまうんだろうか。

 

どうしても疑問になってしまうのは、これはノンフィクションではなく、オリジナル作品であり、その上で自分の想像を超える人物像がそこに広がっているから、どうしても断定を使うことができないのである。

 

一つのことにとことんのめり込めるストイックさは、誰にとってもプラスになることに注がれるとよいが、その道を間違えるととんでもないことになっていく怖さもある。
特にギャンブルは本当に怖い…郁男みたいな人が現実に本当にいるとしたらギャンブル依存症は本当に病気なんだなと思った。

 

おそらく郁男が一人で生きていくことは無理だっただろう。
一人だったら、間違いなくもっと踏み外していたか、どこかで亡くなっていたか、もっと壊れていたか。
何にせよ取り返しのつかないことになっていたのが目に見える。
逆にその末路を表している描写も比較としてしっかり出されている。

 

大切な人の存在が人を少しずつでも変えていくし救いもする。
とてつもなくダメな人間でも、周りに救われることで、何とか人らしく生きることができる。
逆に周りから見たらダメな人間でも、その人に救われる人も、その人だからこそ寄り添える人も、その人じゃなきゃ助けられない人もいる。
暴発することもあるが救われることもあるのが、人と関わりながら生きるということ。

 

本当にどうしようもなくなったとき、0よりもむしろマイナスでしか自分を捉えようのない救いのない状態になったとき、それでも味方でいてくれる人がいることは、とてつもなく救いになること、だからこそ最悪な状態になることを思いとどまることができるであろうことがわかる。

 

展開には裏切られ続けるが、だからこそより救いようのなさを感じられるし、それこそ極限状態とそこからの再生、そしてそれはどのような形でなされるのか、をしっかりと感じ取ることができる。
人の温かさをとことん裏切り、人の冷酷さにとことん堕とされていく。
こんなどん底を味わうことがあろうか。

 

白石和彌監督は事実をもとに描くドキュメンタリーと完全にオリジナルで創る作風が全然違う。
ドキュメンタリーはあくまで事実に忠実に、メッセージ性は押し殺して視聴者に委ねていくスタンスで、オリジナルはメッセージ性がびしびしと伝わってくる。
どちらも大切で必要。共通しているのは、主人公がとことんにまで闇堕ちしていく(極端にまで堕ちていく)こと。

それにより見えてくる人間の根源やその先がある。これぞ極限のヒューマンドラマ!

人を描くことに妥協をしないその姿勢が、今作でも物凄く伝わってきた。
だからこそ理解し切れない。
自分にとっては、別世界を生きる者たちであることはわかる。

そこに目を見張るものがある。そこにしか見えない世界と出せないメッセージ。

相変わらず物凄く揺さ振られ、物凄く余韻が残る映画でした。

P.S.
主演に香取慎吾を起用したのに驚いたが、彼の演技が本当に凄かった。

実は「新選組!」や「家族ノカタチ」でその演技力にもっと俳優として活躍して欲しいと思っていたので、個人的に凄く嬉しかったけど、ここまでの凄さとは思っていなかった。
間違いなく彼のターニングポイントになる作品にもなるのではないだろうか。
それくらいのとてつもないリアリティがあった!

それに恒松祐里の魅力とリリーフランキー音尾琢真の安定感。
安定感のある役者を脇に、主役の新しい魅力を引き出し続けるのが白石和彌監督。
山田孝之綾野剛蒼井優松坂桃李門脇麦斎藤工、そして今作の香取慎吾
全員今までとは違う何かが引き出されていた感じした。

 

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【映画】アンダー・ユア・ベッド 〜極限の孤独の先にある愛とは〜

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アンダー・ユア・ベッド

覗いていたい。このままずっと。

極限の孤独に蝕まれた男の愛は歪んでいて、狂気じみてはいるが、これは確かに一人の男の純愛の物語と捉えたい。

もう一度名前を呼ばれたい。
たったそれだけのために、覗き続けた先にあるものとは。

幼き頃から、家でも学校でも誰からも必要とされることなく、存在をも無視され、名前すら呼ばれたことのない男三井(高良健吾)。

 

その男に「三井くん」と名前を呼んでくれた、たった1人の女性がいた。
忘れられない思い出から11年の時が過ぎ、三井は女性との再会を夢見て、住んでいる家を特定して家に行ってみるが、目の前に現れた彼女が別人のように変わってしまっていた。

彼女に何が起こったのか、何で彼女はあんな姿に変わってしまったのか。
それを知るために、三井の狂気的に見えるほどの純粋な思いが一方通行に暴走し、盗撮や盗聴を始め、衝動が止まらない。

 

それだけではおさまらず、彼女の自宅から鍵を盗って合鍵を作り潜入し、ベッドの下に潜み、息を殺して彼女の監視を始めて、物語が徐々に前進していく。

極限の孤独とはどういうものなのか、その孤独を抱えて生きざるを得なくなり、生きることそのものを一人の唯一名前を呼んでくれたカフェに行っただけの女性に捧げるしかなく、自らの感情をも失いかけている中に、生きる意味をどう見出していき、それをどのように昇華していくか。

 

物語をここに着眼させつつ、孤独に蝕まれた男が起こせる行動の限界や欲求の不可解さ、現実と妄想の狭間にいながらどうすることもできないもどかしさ、そこから鬱々と様々な思いが溜まっていきながらも、徐々に思考と感情と欲求を前進させ、自らの生きる意味や人生のなすべきことに覚悟を決め、そのために確かなる一歩を踏み出していくまでもが、生々しく緻密に描かれている。

その中に感じられるものが多く、物凄く心を揺さぶられた。
主軸ではない暴力描写もなかなかにきつく、気分悪くなるくらいに痛々しく、それを第三者として覗きながら見ることしかできない居たたまれなさが何とも辛く、好転を願わざるを得なくなる。
あそこまでの暴力性が、この作品に必要だったのか。

 

何で生きているのかもわからない、生きる意味がなく幸せの意味すらもわからない男が、それでも孤独に食い潰されず何とか生き延び、やっと微かなる幸せを感じ取ることができた一人の女性との思い出。

相手にとっては、一緒にカフェをしただけの人で、特段意識せずに忘れてしまっている人でも、孤独に生きてきた男にとっては、唯一無二の存在として心に残り続ける。
この温度差こそが、場所的に近くにいても、とてつもなく遠く離れている存在としてスクリーンに容赦なく映し出されている。

 

同じところにいるのに、住む世界が全く違うという両者間の格差が何ともリアルで、一度優しくされたら好きになる男の極限の状態を表しているように感じた。

生きる意味を自らで切り拓くことができず、本当の意味で自分を生きることが結局できずに、ずっと学生生活のときのままで変わらない三井は、やはり彼女に自らの生きる意味を投影するしかなかった。

 

知りたい→もっとその人を感じたい→覗きたい→もっと近づきたい→家に潜入→アンダーユアベッド。
その中で思い巡らせる様々な回想から、やっとその思いは触れたい、一緒になりたいという欲求に進んでいき、助けないといけないという覚悟に繋がる。
妄想から現実の欲求を知る。妄想から現実に進歩が生まれる。
そこまでに物凄い時間がかかる。

普通であれば、ここまでいくのにそんなに時間がかからないし、他のことでその悶々としているものを昇華する考えに至るはずである。
それすらも全くできなくなるのが孤独の境地であるのかというのを悟った。

 

徐々に交差していく二人。
やっとの覚悟で、できることは手を伸ばすことだけで、連れて行くこともうまく助け出すこともできない。
たったそれだけでも、それが彼の全てである。
そこには、手を伸ばすことで、少しではあるものの、世界を知ることも変えることもできるんだという希望が垣間見える。

そして最後に名前を呼んでもらえた。

ほんの小さなことかもしれないけど、三井にとってはとても大きなことで、彼女の中で少しでも自分が生きることができたと感じられたなら、それだけでも彼にとっては十分幸せだったんじゃないかなと。

名前を呼ばれたときの表情を見て、そんなことを思った。

また新たな愛の境地を感じられ、フィクションの中に、現実味のあるギリギリの人間らしさを感じることができた。
いつ壊れても爆発してもおかしくない極限の孤独の中のギリギリの生。
でもその生に対しての強い執着が、すぐに亡くなるグッピーを生きたまま、育て続けられるその性格や人柄そのものからも表現されている。

 

強烈な愛の異常な昇華という意味では、『ユリゴコロ』に近しい。
そこに更なる現実味と孤独の境地を上乗せでじわじわと描いているのが本作である。
そんな三井にとっての生きることに対しての本気に、心揺さぶられる傑作だった。
丁寧にじんわりと妥協なく描かれるからこそ成し遂げられる世界観。

 

P.S.
キャストにおいては、3人とも凄かったのは言うまでもないが、何と言っても高良健吾が際立っていた。
こんな役もこなせるのかと。
美しい顔立ちから放たれる陰気な雰囲気。無感情。
存在しない者を見事に演じ切っていた。
真のカメレオン俳優は、やはり高良健吾だと思う。

いつ恋、ソラニン、きみはいい子、横道世之介彼女の人生は間違いじゃないケンタとジュンとカヨちゃんの国蛇にピアス…そして本作。
色が全て違いすぎて、でも全て見事に染まっている。
初見でしたが、西川可奈子の体当たりかつ、感情と気迫溢れる本気の演技も凄いです!
この移入が難しい世界観に、本当にのめり込ませてもらえました。
今後も注目していきたいです。

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【映画】ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(Once Upon a Time In Hollywood) 〜ほとばしるタランティーノ監督のハリウッド愛〜

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(Once Upon a Time in Hollywood)

1969年にカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーにハリウッド女優シャロン・テート残虐に殺害されたシャロン・テート殺人事件を背景に、当時のハリウッド映画界を描いている作品。

これが自分にとっての人生初タランティーノ監督作品になりました。
過去作鑑賞してたらもっと楽しめたのかなと思いつつ、鑑賞してなくても前知識少し入れるだけで十分楽しめた!
でも入れなくてもそれはそれで普通に楽しめると思います。

 

タランティーノ監督の映画愛、特にハリウッド愛が細部からひしひしと伝わってきて、ストーリーとしての粗さはわりと気になるが、詰め込みたいものを思う存分詰め込んで、映画でしか掲げられない現実と理想を共存させ、時代を自分色に変えて引っ張っていく内容にわくわくが止まらない!

あとは何と言ってもあのラスト13分。
伏線が全て回収されるわけではないが、TV俳優リック(レオナルドディカプリオ)とリックのスタントマンであるクリフ(ブラッドピット)が、思う存分に暴れてくれ、最高のラストを迎える。
細かく言うとネタバレになるので伏せるが、なかなかに容赦がなかった。笑

 

ラスト13分のための映画なんだとすれば、159分という長さは本作には必要なかったであろうし、もっとわかりやすく伏線回収しまくっていた方が映画としてはおもしろくなったであろうが、それだけじゃなく当時のハリウッドを細部まで再現しようとすることで、まさにタイトル通り、むかーしむかしのハリウッドが再現されていてタイムスリップしたかのような感覚に浸れる。

正直この長さで物語が前進しないことによる退屈さとこんなに進まずに残り時間少なくなってきてるけど大丈夫?みたいに思う方がいるのも全然わからなくはない。

物語性というよりも、映画の中の雰囲気やタイムスリップ感に、いかに浸り楽しめるかが本作のキモな感じがする。

そういう意味では、雰囲気や感じ取れるもの、観ているときに得られる感情は全然違うけど、構成なんかは『牯嶺街少年殺人事件』や『動くな、死ね、甦れ!』に近い感じがしている。
物語性がないままに、色んなものが移り行くから、置いてけぼりをくらうこともあり、鑑賞する人を選ぶ。
だから全員におすすめできる作品という感じではない。
それら含めて物語性もちゃんとしていてわかりやすくおもしろかったのは、スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』かなと。

これは鑑賞する人選ばず、誰にでもおすすめできる。
時代背景や国の違いももちろんあるが、物語性を重要視しないという点で似たような構成でも、監督によって全然表現や映し出すもの、スタンスが違い、比較するとおもしろい!

映画はありったけの自己表現ができる場であり、現実の出したいけど内に秘めているものを余すことなく出すことができる。
それに救われたであろうタランティーノ監督が、映画でしか作ることができない世界と時代を理想に変えられるんだという可能性とを見事にスクリーンに投影し切っている。

題材が題材だけにさすがに重さが伴うであろうと思っていたが何のその!
その予想はよい意味で見事に裏切られ、終始わくわくが止まらずにただただおもしろい!
ここにタランティーノ監督のスタンスが観てとれる。

架空人物である何とも憎めない愛されキャラの典型であるディカプリオ演じるピークの過ぎた俳優リックと彼を支える最強スタントマンであるブラピ演じるクリフが、絶妙なバディとしてだけでなく、それぞれの物語として成り立っているのも素敵。

 

そして、何も考えていないように見えて超絶策士であったのがわかるラスト13分のクリフね。
チャールズ・マンソン・ファミリーを実は警戒し、陥れようとしていたのがわかる。

当時のハリウッドを余すことなく投影しながら、もしもこうだったら最高だったよなーという理想を余すことなく詰め込んでいて、最高のラストを演出していく展開。

鑑賞するか迷っていたが、映画の日と被ったということで、鑑賞してよかったです。
過去作も鑑賞してみようかと!

 

P.S.
レオナルドディカプリオとブラッドピットが渋すぎてやばかった。
特にブラピ本当にかっこいい!
55歳とか信じられない。
そしてシャロンテートを演じるマーゴットロビーが、存在感あったし美しかった。
あと音楽も絶妙にハマりまくっていてよかった!

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