Cinema Life Career

映画紹介を中心に、仕事観やキャリアについてなど、世界観や見えていること、日常の中で感じていることを徒然なるままに綴っていきます。

【映画】桐島、部活やめるってよ 〜ヒエラルキーの真髄を通して気づく、他者にすがらず自分に正直に生きることの大切さ〜

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こんな作品だったとは!
原作が、「何者」を書いている朝井リョウさんやったから、あるあるの人間の負の部分が表に出てくる作品だろうなーとは思っていたけど、わりと万人受けしてそうやったから、こんな映画だとは思ってもいなかった。
見逃さなくてよかった。

全員振り回されてはないけど、ほとんどが桐島に振り回されている。
ヒエラルキーのトップ辺りにいる芯のないトップに気に入られることしか考えてない人を皮肉りつつ、芯を持って頑張ってる下層にいる人に希望を与えるような作品。

誰もが何かしらの形で、こんな学校のヒエラルキーを体験したり、目で見たことがあるのではないだろうか。

運動できて勉強できるやつは基本的にイケてる。
勉強だけできている地味なやつはなぜかイケていない。
運動部(特に強い部)はイケてる。
文化部はなぜかイケてない。
帰宅部は一部、なぜかヒエラルキーのトップ辺りにいて、クラスや学校を牛耳っている。
そして、同調圧力で、そのトップに気に入られていることで、トップに近づこうとするやつがいて、そいつはなぜか人気者。

この映画はそんなヒエラルキーのトップにいる人の視点とマイノリティーの下の方にいる人の視点、中間で葛藤している人の視点、いずれもを織り交ぜながら展開されていくから非常にわかりやすかったし見やすかった。
おそらく桐島がずっとバレー部にいて、それこそ活躍していたら、このヒエラルキーは卒業まで続いていただろうと思う。

「桐島が部活を辞めること」で、脆いクラスのヒエラルキーがどんどん崩れていき、個々人に焦点が当てられたときに、結局「誰がイケてる?」というのが、露わになってくる。
構成もうまく作られているな、と感じた。

同調圧力に屈して、トップの共感ばかりをしていたナンバー2的な人は、トップが力を発揮しなくなったタイミングで、何もできなくなる。

それこそ大人になっていくにつれて、スポーツが平均以上に万能にできることなんかは、役に立たないからヒエラルキーのトップにいることに、甘んじていると、後々後悔することになるだろう。

逆にこれは、ヒエラルキーの下層にいる人たちへの応援メッセージでもあるように思えた。
同調圧力なんかに屈しなくていい。
好きなことを笑われながらも一生懸命やっていることは、何も恥ずべきことじゃない。
こんな光景を見ていると、あらゆる方面で活躍している人にいじめられた経験のある人が多いのは、偶然ではなく必然な気もする。

最後のシーンがこの映画の伝えたかったことの全てな気がした。
桐島が学校に来ていることを知ったときのみんなの反応。
桐島にすがって生きていた人はみんな屋上に駆け上がっていくが、自分を生きている前田涼也(神木隆之介)は当の本人を見たにも関わらずスルー。
吹奏楽部の部長は演奏に集中していた。
そして、前田涼也が放った「おかしいのはお前らじゃねえか」
他人のことなのに、あそこまで他人事になれないのはすがって生きているからに他ならない。
他人が現れただけなのに、ここまで大騒ぎする方が確かにおかしい。
桐島の親友(東出昌大)が流した涙と野球部の練習を見ながら電話してたシーンはそのことを強く思わせてくれるよいシーンだった。
橋本愛朝井リョウの視点っぽかった。

これは大人の社会でも一緒。
自分が主人公になって主体的に人生を生きられているか。
他人任せで他人への同調だけで生きていないか。
自分の人生を他人に任せてはいないか。
自分の人生にしっかりと自分で責任を持てるか。
この辺りは常々考えながら生きていかないとなー。